佐賀県(海産物県)

佐賀城は戦国時代の領主竜造寺氏の居城村中城を鍋島氏が全面的に改修したもので、遺構の多くも明治初年の江藤新平らによる佐賀の変で失われ、鯱しやちほこの門といわれる城門が残るだけとなっています。佐賀の名は所在地が佐嘉郡であることから取られました。

 

伊万里焼といえば、江戸時代に浮世絵と並んで日本文化の素晴らしさを世界に認めさせた原動力でした。ところが、伝統工芸品産業の指定に当たって少し問題が起きたのです。

 

というのは、世界的に有名な伊万里焼、いわゆる古伊万里は有田町の特産品で、伊万里港から積み出されていたので伊万里の名で輸出されていたものです。朝鮮出兵で陶工を連れてきた鍋島氏は、彼らの子孫を伊万里市大川内の山中深く隔離し陶磁器を焼かせました。ところが、アウトサイダーというべき陶工たちが近くの有田で焼くようになり、それが世界で評価されるようになったのです。

 

しかし、やはり伊万里市の産物である以上、その名を使いたいというのも自然な気持ちです。結局は伊万里・有田焼として指定を受けました。

 

有田町は陶磁器の町で柿右衛門らの名工、香蘭社といった近代企業まで幅広く、「有田ポーセリンパーク」は東西の陶磁器を扱ったテーマパークですが、シンボルになっているのはマイセン焼の地元であるドレスデンのツヴィンガー宮殿を再現した展示館とバロック風の庭園です。

 

唐津は豊臣時代に寺沢広高が封じられ名護屋城の資材などを活用して築城しました。虹の松原と呼ばれる松林が続く海岸と桃山風の華麗な復元天守が美しいと評判です。

 

交通の要衝、鳥栖の近くには吉野ケ里遺跡があります。これは邪馬台国の時代のものらしく、『魏志倭人伝』の記述に合う楼閣の跡のようなものまで出土して話題になりました。その後の奈良県纏まき向むく遺跡の出土などでまた雲行きが怪しくなりましたが、発見時はこれで論争も終わりという人までいたほどです。

 

最初は工業団地の予定が駄目になって困っていた県も観光開発に切り替えることになり、想像力豊かに建物を復元し、卑弥呼ロマンや醤油など土産物もたくさんできました。

 

11月のインターナショナルバルーンフェスタは100以上の気球が登場するイベントで、平坦な地形を活かした夢のあるイベントとして成功しています。

 

「武士道は死ぬことと見つけたり」とは佐賀鍋島藩士だった山本常朝の「葉隠」にある言葉ですが、尚武の精神盛んなこの県は自衛隊に入隊する若者の割合が高いと言われています。平成の三四郎といわれた柔道の古賀稔彦も佐賀県人。芸能人では村田英雄氏がこの佐賀県の気風にふさわしいのではないでしょうか。